2018/02/14

神道は日本人の生き方、考え方

走る小
 またまた昨日の続きです。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義。
 昨日までの話ではまだまだこの山村さんの本の神髄に迫ってないからです(笑)。
 神道の基本思想は「和」。日本では正月は神社に参り、お盆と葬式は仏教式、でもクリスマスやハロウィンも盛大にお祝いする。そんなところは外国人は理解できないそうです。日本人にもようわかりませんね。神道には「宗教」の条件である「教義」「教組」「経典」がないのだから、実はこれは「宗教」ではないのだと言うてはります。だから日本人は神々と人間が調和できるんやと。うんうん、それはようわかりますね。で、外国人の神主さんがいることや、外国人が自分の国に神社を建てた例を書いてはります。駐日サンマリノ共和国大使のマンリオ・カデロさんという人です。母国サンマリノに、天照大御神を御祭神とするサンマリノ神社を2014年に建てはったそうです。びっくりやね。カデロさんは、これは神道が宗教ではないからできたこと、と言うてはるそうです。
 あと、ユダヤ教、キリスト教の共通の最高神はヤハウェというてこの神様は自分で自分のことを「ねたむ神」やと言うてるそうです。だから、他の神を拝んだらあかんのやそうです。神道は最初から八百万の神やから、どの神様を拝んでもええんやからね。
 あと、細かい話やけど、最近ガタガタになってしもた東芝の話があります。超優良企業やったはずの東芝の創業は、江戸時代末期に久留米の鼈甲の職人から、からくり人形師になって「万年時計」を作った田中久重さんが建てた田中製造所が元やそうです。で、この田中氏がずっと参拝してはった地元の櫛原天満宮の宮司さんに山村さんが聞いたところ「ここ最近、田中製造所から発展した東芝の役員はおろか、社員もまったく参拝しなくなった」そうです。ふうん、さもありなん、てな話やね。
 あと、モノを知らん私は、こないだ20年ぶりかで爪切りを買うたときに「関の孫六」というブランド名を知りました。この「関鍛冶」の守護神が岐阜県の美濃にある春日神社やそうです。美濃地方は昔から鉄鉱、アマルガムの産地です。で、この関氏は大和から移ってきた由緒ある人たちで藤原家、中臣鎌足にまでさかのぼれるそうです。で、この美濃から尾張にかけての地域には、「金属の神」、その代表格が「金山比古命(かなやまひこのみこと)」「金山比売命(かなやまひめのみこと)」で、この神々はなんとトヨタの主祭神なんだそうです。トヨタ本社内には豊興神社が鎮座し、毎年創業者である豊田家など役員が参拝するのだとか。「現代においてもこの『鉄神』たちは、生き続け、世界に冠たる日本の伝統文化を支える大きな精神性となっているのです。」と書いてはります。
2018/02/13

国家神道?

指差し小
  昨日の話の続きです。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義。
 私らの年代は、もともとの日本の宗教は未熟で、仏教が伝来するまでは日本は八百万の神を信じてたわけやから、これは「アニミズム」、遅れた原始宗教なんや、というニュアンスで教えられたように思います。で、じっさいこれは何も戦後の自虐史観とかではのうて、幕末、明治維新の頃に日本にやってきた欧米の文化人類学者が「日本の神道は遅れている」というレッテル貼りをしてキリスト教を広めようとしてたそうです。でも結局よく調べてみると、神道には精緻な祭祀と組織があったため、日本の神道は未開な宗教ではないと認めていたそうです。
 あとよく言われるのが、戦前は軍部が「国家神道」として国民を教化したんや、せやから神道は国民を戦争に駆り立てるものやったんや、という話。これもウソですね。実は明治政府は慶応4年に天皇の権威を国民に広めるために「神祇官」再興の布告を出し、神仏分離令を出して、これまでずっと行われていた神仏習合を否定したんやそうです。ところが結局国民の大反発に遭って、わずか4年後に神祇官は廃止されたそうです。つまり、国家神道なんて、そもそも最初から日本人は受け入れてはいなかったということですね。あーあ、また私らがウソを教えられてきてたことが一つ増えたわ。
 で、ここから山村さんの話は続きます。そもそも国家神道というなら、国から全国の神社にお金が渡ってたはずやけど、それはなかった、と。また欧米なんかを見ると、国教となった場合は神様は一つにせなあかんはずやけど、そもそも日本全国にある神社の神様は多すぎて、一つにまとめられるわけがない、と。そしたら実はこの神道というのは「宗教」とは違うものなんとちゃうか、ということです。大いにナットクですね。
 さらに、神道的な考え方を紹介して、自分の身辺をいつもきれいにしておくこと、それは人間関係のコミュニケーションも日ごろからちゃんと取っておくことも意味していて、それが「禊ぎ」。そしてトラブルが起こった時にはきちんとトラブルの原因を割り出して、トラブルそのものをリセットするという「祓え」。この「禊ぎ」「祓え」の精神は現代でも通用するのではないか?と言うてはります。まあ、ある意味人間が生きていく上で当たり前のことを言うてるように思います。つまり、神道とは、日本人の生き方、考え方そのものなんや、ということやそうです。うん、たしかに日本的やわ。そこに後から来た仏教も、良いところはしっかり取り入れて自分らのものにしてきた、ということやね。
2018/02/12

『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義

日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか 

 読みましたよ。『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』山村明義。
 恥ずかしい話やねんけど、私の実家は仏壇も神棚もなかってん。お父ちゃんとお母ちゃんは5男と8女、戦争中は学徒動員と集団疎開、お母ちゃんは戦争が後わってからの授業では教科書に墨を塗ることから始めたという世代やってん。戦後教育どっぷりやから神も仏もあらへんわなあ(笑)。もちろん、おじいちゃん、おばあちゃんの家とかおじさん、おばさんの家には仏壇はありましたよ。まあご気楽な夫婦やったんですわ。で、何が言いたいんかというと、そもそも私らは学校では神道について習うことがないということですね。
 この本を読んで何となくわからんかったことがようわかりました。そもそも神道、神社を一つの宗教として見ることはおかしい。創価学会やら幸福の科学やらと同じ宗教法人なんか?そんなアホな!あ、別にその二つがどうこう言うつもりはありませんけど、いっしょにせんとってほしいですね。山村さんは何度も言わはります。神道は日本人の生活、文化、習慣そのものなんやと。早い話が日本人の習慣、「いただきます」がそうでしょう。日本人は神さまはどこにでもいてはると思える。八百万の神ですね。そういえばちょっと前に「トイレの神様」という歌が流行りましたね。どこにでも、何にでも神様を作りたがる日本人の気持ち、とても自然に理解できますね。
 で、この本の中からちょっと。
 今話題の大相撲、これは神事やとよう言われますけど、その通りですね。「力水」や「四股」にも意味があり、土俵上でガッツポーズはしたらあかんとかもありますね。ただびっくりしたのは、大相撲本場所が始まる前日に行われる「土俵祭」にお招きする神様が、戦前と戦後では替わってしもたということやそうです。戦前の相撲祝詞(のりと)では、「我が国の相撲は神代より始まり、、、」とゆうて、天神七代、地神五代を土俵にお祀りしていたのに、戦後は22代木村庄之助さんが、「相撲三神」に変えはったそうです。当時、GHQが色んなアホなことをしてて、柔道や剣道も禁止されてたから、予防的に、アメリカ人にわかりやすいように説明しやすい神様に変えたんやそうです。ふうん。その頃の日本人はそれこそ文字通り、生き延びることに精一杯やったから簡単に批判はでけへんけど、残念なことやなあと思いました。相撲はスポーツやのうて、神事やと。今の日本人、ナットクできるかな?
2018/02/10

安倍首相、達筆やん(驚)

台湾加油安倍晋三おばちゃん 
 安倍ちゃん、達筆やんか。わたしは別に書道の心得があるわけでもないですが、まあ私らよりはずう~っと上手やと思いますわ。何枚か練習しはるんかなあと思てたら、何とネットでは台湾のニュースで、書いてはるところまで動画で出てました(動画)。当たり前やけど、本物でした。スゴいなあ、安倍首相。官邸がSNSであちこちに発信してはるみたいですね。そういえばと思うて麻生太郎さんもたしか達筆やったと思て調べたら、これも書いてはる動画が出てました。うまいわー。やっぱり政治家は揮毫を求められることが多いから、うまないと(上手でないと)あかんねんやろなあ。カッコええわあ。
 それでまた思い出しました。防衛省の看板!これですわ。
防衛省 
 これ!あかんやろ!
 はね、とめ、書き順もむちゃくちゃに見えるけど?
 で、調べたら防衛庁が防衛省になった時の初代大臣ということで、久間章生さんが書いたんやとか。へえー、弱そうな防衛省やなあ。辞退せんかいな、久間さん!でも調べたら、省庁の看板を政治家が書いてる例がいっぱいあって、もうびっくりするほど下手くそなんもありました。
 あと、ネットでは野党の党首のサイン色紙も晒されてました。うーん、個人的主観になるから感想は書かんとくわ。そうそう、習近平の色紙もありましたわ。サインペンぽい感じやったけど、これはへったくそー、でしたわ。まああの人は文革時代、地方に下放されててロクに勉強でけへんかったと言われてますけどね。
 習字のきれいな人はうらやましいなあ、という話でした。
2018/02/10

ハングル文字と漢字

自転車小
 私がまだいろいろ勉強する前は、ハングル文字というのはものすごい合理的で、世界で一番完成された文字やと聞いてて、すごいなあと思うてたんや。まあそれやったらそれでええねんけど、実は韓国では戦後すぐの時代に、漢字は廃止される方向にあったそうです。つまり、日本が朝鮮人から言語を奪ったのを取り戻す、ということですね。それで、1970年代には漢字はどんどん廃止されていって、今はもう韓国人のかなりの人たちが漢字を読み書きせえへんようになってきてるらしいですね。ええー?ホンマかいや—、とびっくりしました。
 ハングルは表音文字です。せやから一文字一文字には特に意味はありません。日本語でゆうたら「かな」といっしょやね。そしたら、高度な概念語、哲学とかに限らず、理科系の専門用語も使えんようになって、大変らしい。そらあ何でもええけど、論文がぜんぶひらがなで書いてあったらわけわからんやん。実際、同音異義語がいっぱい出て来てしまうそうです。そらそうやね。そんなことは最初からわかってたのにね。
 日本人は縄文の昔から、外から入ってきたものをうまく取り入れて自分らのものにして作り替えることが上手やってんな。文物工芸に限らず、ひらがな、カタカナもそうやし、江戸から幕末にかけても西洋の最新知識を吸収するのに漢字をうまく組み合わせて、いわゆる和製漢語を作ったそうです。面白い話が、今の「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も元は日本の研究者が作った漢語やと。
 ウィキペディアからコピペしますね。「和製漢語」。
文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、、、、、。
 で、調子に乗って調べてたら、ねずさんのブログで、日本でも戦後、教育改革の名の下に「当用漢字」やら「現代かなづかい」でおかしなことになってきたという話がありました。アメリカ人にとっては日本語はとても難しい、ややこしいということで一時は日本語廃止、ローマ字化、の話もあったらしい。そういえば私は高校時代に桑原武夫さんが日本語をローマ字化しようと言うてはったのを読んだことがあります。その頃は、さすがに賢い人のゆうことは違うなあ、と思てましたけどね。
 話は戻って、ねずさんは「学」は「學」やし、「国」は「國」やと言うてはります。私が昔教えられたんは、中国は新しい漢字を作ったけど、日本はもともと略字?みたいなものは中国にもあって、それを採用するようにしたんや、とか。まあでも日本人はどちらもちゃんと知ってるところがすごいですね。
 国民が自分の国の言葉で書かれたものを読めなくなるということは、民族が滅びるということやということですからね。